気が向いたときに書くブログ

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ある雪の日

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朝目が覚めて一番にカーテンを開く。

見慣れた景色はどこもかしこも白かった。上京して何度目かの雪。何度体験しても、心が弾むので私の前世はきっとこたつで丸くなる猫よりも庭を駆け回る犬に近い。

しんしんと雪の降り積もるここは故郷ではないのになぜか郷愁がする。慌てて茶色いコートに赤いニット帽をかぶり、外に出れば身体に透き通るような寒さが広がる。眠気もだるさもすべて吹っ飛んで目の前に広がる全てが輝いてみえた。

今日も今日とて通勤はしなくてはいけない。けれども、この雪道を進んで行けるなら憂鬱な気持ちも少しは軽くなる。赤いニット帽に白い雪を積もらせて、茶色ではなく緑のコートを着ていたら季節外れのクリスマスコーデが完成するのになぁと考えながら通い慣れた道を歩く。

数日前には春の訪れを感じさせてくれた梅の花にも雪は積もり、白く丸くなった姿を見て砂糖菓子を思い出した。そういえば、デメルのすみれの花の砂糖漬けを食べてみたいなぁとずって言い続けている。梅の花もお砂糖につければ甘く美味しく食べられるのだろうか?

なんて連想ゲームみたいに取り留めのないことを考えてしまうのは、雪景色に気を取られて朝ごはんを食べ損ねて空腹だったからか、あるいは雪をみることで心の余裕ができたからかもしれない。雪道散歩セラピーみたいな。

静かな雪道を心做しかるんるんに歩く姿が見苦しいのか、すれ違った人が訝しげに私をみていたが雪を楽しむ私には些細なことだった。なんでそんな物珍しげにみるのだろうとは思いながらも、気にとめない程度に久しぶりに振り積もった雪に夢中だった。

住宅街をぬけて、駅近くの人通りの多い道にたどり着きようやくすれ違う人々が私を不思議そうにみていた謎が解けた。

この街の人は雪が降ると傘を差す。

それが彼らの普通だった。別にそれを否定することはない。地元よりも水分を多く含んだ雪はすぐに靴やコートを水浸しにするのだから当然の対策だ。別に雪国マウントを取りたいとかそういうわけではなく、純粋に対応の違いに地域性があることが面白いなと思ったのだ。なるほど確かに傘はあったほうがいいなと思い、私も慌てて入れっぱなしの折りたたみ傘を取り出した。

バラバラと傘に雪が当たる音がする。

そういえば、しんしんとという表現は雪以外に使う場面はあるのだろうか。どうやら、雨と雪では降る音も、傘に当たる音も違うらしい。雪の結晶が当たり、雨とは異なる音色を奏でる傘の下で静かに降らない雪にも幽玄さはあると思った。

地元では、冬になると友人や親の顔よりも多く視界に入る雪は、当たり前のように傍にある見慣れた風景だったが、私の知らない冬がまだここにもあった。それが嬉しかった。そういえば、この街はこんなにも雪が降っているのに雪の匂いもさほど濃くないようだ。ツンと冷えた埃の香りがあまりしないのは少し不思議ではあったが、こんな雪の日もいいものだなと思った。